~こわしやさんと電気のおじさん~

いつの間にかこんなに歳をとってしまっていた。
自分だけは何も変わらないような錯覚を起こしがちだが、時の経過を一番感じるのは、昔流行った曲がいったい何年前のものかと計算した時である。この曲は高校生のときよく聴いたものだと思うと、次に引き算で二桁の数字が浮かんでくる 。
うーん、歳は隠せぬものだ。

幼い頃から私は身の回りにある小さな器械たちに、大きな好奇心を示した。ことに目覚まし時計と小型ラジオには興味津々で、大人たちが危険を感じて隠したそれらを目ざとく探し当てては片っ端から分解した。
分解して中に何が入っているのか確かめたくて仕方がなかったのだ。そして、結局どうなってるのかわからないまま元に戻すこともできずにほったらかしてしまうのだ。
実はテレビも不思議で不思議でしょうがなかった。まさか中に人間が入っているとは思わなかったが、テレビにつながってるのは電気のコードとアンテナだけ。どうやらアンテナがあやしいということまでは理解できたが、どういう仕組みで映像や音が出るのか知りたくてしょうがなかった。とにかく何でもバラせばわかると思っていたのだ。
しかし、テレビの後ろに触ると電気でしびれて死ぬかもしれないよと大人が言うので近寄らないことにしていた。その言葉がなかったらテレビも被害に遭っていたのかも知れない。

母親の実家で見た8ミリ映写機はフィルムを映写機にかけると光が当たって映像が映り、カラカラ回って動く。いたって単純な構造なので子供にもわかる。しかしテレビはでっかいブラウン管ぐらいしか目立つものはない。
私はブラウン管もあやしいと思った。今思うと手を触れてなくて本当に良かったと思うのだ。

さて、分解されたラジオや目覚まし時計はというと、中のぜんまいやらスピーカーやらいろいろ入っている部品を一通り取り出していじってみた後、どうやっても元に戻せないのでそのまま放ったらかしにしては「戻せないなら分解するな」と親に叱られたのだった。そしてそれらは必ず、メカに強い叔父のところへ入院するのだ。
叔父はゴチャゴチャになったネジをきれいに揃えた後、器用な手つきで組み立てていく。そして、もう一度私の前で分解して見せ、「えぇか、分解する時はこうやって外からバラした順番にネジを並べて置いとくんや。そうせんとどれがどのネジやわからんようになるからな」と説明する。

叔父は小学校の時から近所のラジオや時計を修理しては小遣い稼ぎをしていたらしい。モノクロ写真の中に、丸刈り頭で基板の半田づけをしている姿があった。
6人兄弟の末っ子で、運動はからきしダメだがめっぽう器用で頭も良い。近所の人が回覧板を持ってくると小さい男の子がエプロンをしたまま出てくると評判だったらしい。
結婚前は子供が苦手だったようで、「僕は子供なんか作らん」と豪語していたらしいのだが、いざ自分の子供が生まれてみると一日何回も子供に頬ずりしながら「父ちゃん好きか?」を連呼するメロメロパパに変身していた。
音楽が好きで、オーディオもバラで2組は揃えていた。聴くジャンルによって分けていたようだ。ダンプの運転手をしていた時は「ダンプに乗ってクラッシック聴いてるのは俺ぐらいのもんやろな」なんて笑いながら「田園」や「新世界」を大音量で鳴らしてダンプを走らせるヘンなオヤジだったが、ダンプの運転手をしながら一人でせっせと自分の家を建て、土地を買って工場も建て、当時急成長だった弱電関係の工場を始めた。工場が軌道に乗り、やがて少し落ち着いて余裕ができると今度はカラオケ喫茶を作り、これも結構流行っていた。
大工が本業でもないのに、他の仕事をしながら自分で家や工場、店を設計し、全部自力で建ててしまう叔父の底力に圧倒されていた。

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