地区の集会場で、味噌づくり講習会があるというので行ってきた。味噌汁がないとご飯を食べた気のしない私、材料も会場も道具も全部準備してもらって、700円で1Kgの味噌がもらえるとあればこれはもう行くしかない。
行ってみると、時間のかかる大豆の下ごしらえはすでに終わっている状態。こうじも塩と合わせて混ぜ込んである。こうじとだし汁を合わせて柔らかく練り、機械で潰された味噌を混ぜて粘土のようにこねる。みそでおにぎりをつくって容器に叩きつけるように投げ込む。(こうすると空気が抜ける)表面を平らにして塩で覆い、焼酎をかける。あとは1ヶ月後に水があがってくるのでキッチンペーパーなどで吸い取り、秋頃には食べられるのだそうで、今からとても楽しみだ。
もともと、時間さえあれば、なんでも自分の手で作りたいと思う方である。なんでも安く簡単に手に入る時代だけに、手作りとうと「好きだねぇ」とか「優雅だねぇ、暇なんだ」という声がかえってくる。本当に、何かと忙しい昨今、手作りというのは究極の贅沢かも知れないと思う。
子供の頃はその逆だった。農家育ちで祖母が明治の人だったこともあり、物をむやみに買わないことが常識だった。
農閑期の冬は、雪かきの合間に祖母と母が古い布団の繕いや、打ち直しに出した綿を広げて新しい布団を作ったり、農作業着のブラウスやもんぺを縫ったり、はんてんを縫ったり、セーターを編んだり、漬け物や味噌をつくったりしていた。
春には稲作や畑仕事が始まり、GW頃にはじゃがいもを植える。これだけは毎年参加していたのでなんとなく手順を覚えている。半分に切った芋種を足の間ほどの間隔をあけておいていく。足跡の所に肥料をおいて、土を被せる。そういえばトイレの下肥を汲んでじゃがいも畑に撒いていたようだった。臭いし、自分がトイレに落としたスリッパがゴミが混ざっていたり山菜の時期になると山でとってきた山菜も食卓に加わる。祖母はふきのとうのお浸しが好きだった。これがまた子供には激苦・・・。(去年地元の人と山菜とりにいき、ふきのとうは天ぷらにすると絶品だということを教わった)ぜんまいは灰汁で茹でて天日干しにすると長期保存がきく。これも煮物や和え物にするとおいしい。
初夏に入ると梅と紫蘇を摘んで天日干しにし、梅干しをつくる。味噌はだいぶ市販の味に慣れたが梅干しだけは未だに買ったものがダメで、母の漬けた梅干ししか食べない。自分で漬けられるようにならなければと思う。
夏は毎日畑で大量にとれる野菜が、サラダ、煮物、漬け物、炒め物にと姿をかえて食卓に登場する。煮物や漬け物が置いてないという事はほとんどなかったように思う。苺、スイカ、トマト、梨、柿などを畑で摘んで食べるのも楽しみだった。
秋、新米がとれると、実はその時期にはまだ古米が大量に残っていたりするのだが、少しだけ新米を味わう。どこの家でも精米機を持っているので、米は玄米で保存し、半俵ずつ精米して食べていた。稲作が一段落すると、渋柿をもいでつるし柿をつくる。これも冬場の食料になる。暮れにはねぎ、白菜、大根、キャベツなどの越冬野菜の収穫と白菜や大根の漬け物が漬け込まれる。そして年の瀬には餅をつく。こんな感じの生活だったのだが、今の暮らしから思うと実に豊かな暮らしをしていた気がする。何かというと「そんなもん、作るより買った方が早いし安いわ」という発想になる現代。便利な生活をすればするほど手作りが恋しくなるのだ。
2002.03.05